ハツリストという蛮族がいる

「ちょうな」で木をハツる、木を耕す日々

同じ刃物でも木が変わると結果が違う

ケヤキの板をランダムにポコポコはつったら、さぞ面白かろうと思ってやってみましたところ

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丸っこい跡がたくさん付いて、いい感じになりました。

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そこで、同じ、三寸二分幅の名栗チョウナで、杉もやってみようと思ったら

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なんだか角が立ってしまって、全然面白くない。

ヒノキならどうかと、やってみたけれど、

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あんまり面白くない。

同じ刃物で、同じ人がやって、なんでこんな結果が違うかなぁ、と。

難しいもんです。

杉やヒノキで、丸っこい跡を付ける方法ないのかなぁ??

今後の課題ですな。

 

 

 

 

 

伊賀と大砲と私

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先日、伊賀流忍者博物館に出掛けてきました。ずっと前に見て、気になっていたものがあったからです。

 

気になっていたもの、それは……

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あった〜。記憶の中よりだいぶ大きかった。径がだいたい30cmくらい。

これはやっぱりハツリ跡だよなぁ

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と、これが何かというと……

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「鉄片や小石をつめて射ちかける」て……ひゃっ。

たぶんこれ、35センチ位の径の松の丸太を持ってきて、16角形位に手斧でハツって形を作り鉄輪を嵌めたんやろうなぁ。外側はそれでいいとして、

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機械の無い時分に、どうやって中をくり抜いたものやら?

あとこれ、どうやって使ったのか、どこから点火したのか、見ても全然わかんない…… 別に、使い方はわからんでもええけど、必要ないし…

はじめ、レプリカかなぁと思ったんだけど、これ、やっぱり古そう。明治時代になれば忍者はいないだろうから、江戸時代のものだろうか??  だとすると、たぶん普段は屋根裏とかに隠してあって囲炉裏の煤が付いてる。それで、運ぶ時なんかに擦って木地が見えてきてるってことかな。

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使った、んだろうか……

だとしたら、小石や鉄片が炸裂して、大変な修羅場に…。あぁ。

 

ふと思ったんだけど、ひょっとしたら、昔の花火の打ち上げにも、こういう発射台(?)が使われたんだろうか。それで、案外、花火師に化けた忍者がこういう大筒を運んでは、各地で暗躍するようなこともあったのかもしれない。で、さすがに、武器としての大筒を他人に作らせては忍者であることがバレてしまうから、忍者自らチョウナで木をハツっていたこともあったんではなかろうか。上の写真の大筒だって、「手裏剣投げてる方が楽だよまったくニンニン」とかブツクサ、ニンニン言いながらハツったものかもしれない。

 

今日は少し、ニンニン言いながらハツってみよう。

 

 

あっ、伊賀流忍者博物館は、忍者ショーもあるし、移築された忍者屋敷(カラクリ満載)もあって超オススメです。

ホームページはこちら

http://www.iganinja.jp

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

国産材しか使いません

と、言ってみたものの、なんでそう思うかは自分でもよくわかってなくて、改めて考えてみると、

 

こんだけ山も森もある国で、なんで外国から木を持って来ないといけないのかよくわからん

 

と、これに尽きるかと思います。

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要するに日本にはいっぱい木があって、たいていのことは出来るんだけど、たとえば、幅が1mもある一枚板のテーブルを  "お値打ちで"   欲しい、とかいう要求があるから、それじゃ国産材だと高いから駄目だから、と経済格差(というかカネ)にモノ言わせて物価の安い国から仕入れてくる、ということになる。結果、日本の商社が主導して東南アジアやアフリカで大木がズバズバ伐られることになる。と、こういうことには加担したくないのね。

 

   ま、あとは輸入材につきまとう、怪しげなネーミングが嫌、というのもある。建築材でよく使われる米松(ベイマツ)も、マツだという事になってるけど、あれはトガサワラ属でマツ属ですらない。材木屋も大工もそんなこと知らずに、なんとなく松に似てるからアメリカの松だ、日本の松の代わりに使えるぞ、とそういうことらしい。高尚な匠の世界とは、そんなもんです。

    他にも、 米杉(ベイスギ)て売られてる木はヒノキ科クロベ属で、杉じゃなくヒノキやネズコの仲間だし。売りやすい名前が無理矢理つけられちゃってるわけで、こういったことは枚挙にいとまがない。なんだか嘘ついてるような後味のわるいことっていったらもう……。

  ラオス檜、カンボジア松、アフリカ欅… 日本人がどこで環境破壊をしてるかを、わざわざ宣伝してるみたいなもんでないかい。見えない所で伐られていると、どんなことが現地で起きているかわからない。実際、外国では違法伐採というものが、ある。今建設中の新国立競技場コンクリートの型枠のベニヤに違法伐採された熱帯雨林の木材が使用されてたとの疑念も出ている。日本で社寺建築材として盛んに使われた台湾檜は今や伐採禁止である。これが逆の立場だったらどうだろう? どこかの国が大金持ってやって来て木曽ヒノキの大木を伐採禁止になるまでズバズバ伐って持って行っちゃったとしたら?非難轟々になるんでないかい。しかし、日本人はすでにそれと似たようなこと、あるいはもっとヒドいことをすでに他国でしている。自分がされて嫌なことは人にはするな、という、幼稚園児でも理解できる倫理観は、知らないうちに知らないところで、そっと踏み潰される。「だって大きな木を安く欲しいんだもんっ」

 

   頭の良い方々は、まず第一に、壮大な計画を立てる。その壮大な計画の実現のために必要な材料は?というシステムで物事が進む。すると、どうやら日本に無いらしい。あったとしてもとても高価だ、困ったな〜と実に頭の良い人らしい悩みを経て、頭の良い人らしい手際の良さで、どこからか材を手配してくる。かくして、カメルーンからやって来た巨大なアフリカ欅の柱で興福寺の金堂が再建されることになる。日本の頭のいい人達が立ち回ると、カメルーン国は神のような大木を日本のお寺のために失うことになる。これが仏教の教えるところの因果応報というものなのである。ナムアミダブツ。アタマの悪いわたくしは、日本に大きな木が無いなら、その現状に相応しい小さなお堂を建てればいいじゃないか、それが  "この国の形"  ってものじゃないかい? って思うんですが。あるいは、今から木を植えて200年後に建てればいいじゃん、と思うけどね。不思議だねっ。これも何度か書きましたが、要するに、今どんな材料があるかというところから発想するか、カタチから入るかの問題で、先に無理のあるカタチを決めちゃうから、強引に材を集めざるを得なくなる。発想が逆なんだよね。そして建築の分野ではしばしば、その強引な材集めさえ美談として語られる。こうなると木は、単にデザインなり設計なりを具現化するための「ネタ」に過ぎず、まだ生きられたかもしれない木の命を頂くというような峻厳さは何処かに吹き飛んでしまう。

   「だって大きなお寺を建てたいんだもんっ」

無邪気な欲望の暴走は、「建てる」という想像的な行為を、破壊と欺瞞で満たしてしまう。

私はごく単純に、無理難題を解決する優秀さより、はじめから無理難題を作らない賢さ、の方が尊いと思うけどね。

 

  家具の世界でも輸入材流行りである。一時期は猫も杓子も人間国宝までブラックウォルナット、ブラックウォルナット流行りであった。他にアメリカンチェリー、ホワイトアッシュとかロシアの楢とか。こういった木は今まで挙げてきた木と違うのは、そんなに安くないってこと。でも、 なんで使われるかっていうと、一言で言えば、お手軽に高級感が出せるから、っていうこと。忘れられない会話がある。とある某家具作家に「こんだけ木がある国で、日本の木で作っちゃ駄目なんですか?」とシンプルに問うたところ、「杉やヒノキじゃ高級感が出ないから駄目なんだ」とこれまたシンプルな答えが返ってきた。なるほど、家具の世界では、外材(輸入材)というのは、そういう位置づけなんだ。消費者にわかりやすく"高級感"を感じさせるためのツールなんだ、と。名前がカッコいい、っていうのもポイントだね。でもね、どうなんだろうね、素材の高級感に乗っかったモノ造り、って。なんかラクしちゃってないかな。工夫が足りなくないかな〜。しかも、そのために外国で伐られた高級な木が高級な重油をガンガン焚きながら高級なタンカーに曳かれて海を渡ってくるんだ。そうして作られた高級な輸入材製の家具に  "環境先進国"  ドイツ製の塗料が塗られて完成〜、って一体どこの国のモノ造りやねんっ。と、まあ、こういう仕組みなわけです。消費者の皆さまもね、そういう  "演出された"  高級感に弱いんね。ここでもやっぱりね、木が単にデザインをカタチにするための  "ネタ"  になっちゃってる感じがするんだよねぇ。 "命を頂いてる感"  が減退してるのを感じざるを得ないんだなぁ。

 

と、長々書いてきましたが、そういうわけで、自分は国産材しか使いません。手持ちの材料の加工だけ頼まれたらやりますけど、自分は材料としては一切買いません。カネにモノ言わせたデカい南洋材とか、よくわかんない  "高級感"  から遠く離れて、"そこら辺にある木"  でオモロいもんが作れたら、それでいいと思ってます。

 

   日本の山で、今日も山の手入れに余念のない方々がいます。そういう人たちが少しでも報われるようにしないとね、この国でモノ造りをしていく意味が無いと、思うんです。

 

 

 

犬山城は ハツリパラダイス〜 8月5日 犬山城再訪記

名古屋まで納品に行ったついでに、犬山城まで足を延ばしました。

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最近落雷で被害を受けたとのことで見学出来るか心配でしたが、被害は鯱鉾(しゃちほこ)だけということで、見学は出来ました。裏に足場が組まれていて鯱鉾の修理中でした。

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天守閣に入ると、まず目に入ってくる大きな梁。いつもながらの大迫力。しかし何回見ても何の木かがよくわからない。檜なんかな? あと、こういう少し整え気味にハツリ跡が付いた部材が、天守閣の中でこの一本きり、というのも何か気になるところ。創建当初のものとは違うんだろうか。江戸時代、明治、昭和、と三回大きな修理を経ているから、そのいずれかの時のものかもしれない。

 

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磨り減った床板の、そこかしこ、人のあまり通らない所に、うっすらとハツリ跡が残っている。そして、犬山城に関しては、古い床板も、一度も外された痕跡が無い床板が残ってる。昭和34年から解体修理をされたということなんだけど、床板を全てめくるほどの全面的な解体修理ではなかったということかな。

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屋根の垂木は新しいのと古いのが混ざってるから、屋根は一度はめくって修理してあるようだ。

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古い垂木。小さくポコポコはつって形を整えてあります。

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新しい垂木はハツってないけど、少し色付けした程度で、そんなに違和感なく納まっています。

やっぱりこのお城は江戸時代の元和3年(1617)〜明治の一時期を除いて〜平成16年(2004)まで、ずっと城主の成瀬氏の私有であったことから、修理にもその時々のご当主の目が光っていたんでしょうか。全体に保存の状態がいいです。なにしろ文字通り「ワシの城」なわけですから、いい加減な修理など出来ようもありません。このあたりが、姫路城など、結構ええ加減な修理がされてしまう国有の城との違いかもしれません。犬山城が国宝でありながら、つい最近まで成瀬氏の私有財産であったことの意味は大きいです。

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柱にも、いい感じのハツリ目出ています。

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これは武具の間の柱。ヒノキかな。他の柱に比べて風化が少ないので、あるいは明治時代の柱かもしれません。でもハツリの風合いは江戸時代そのままの雰囲気がでています。

 

お、他にも、ちょっといいもの見つけました。

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カンナ仕上げだけど、古そうな床板。ちょっとわかりにくいけど、カンナを掛けた跡がうっすら残っていて幅一寸五分(45ミリ)くらいの筋がスゥーと一直線に。たぶん幅の狭いカンナを出丸に研いでササーっと仕上げちゃったんやろな〜と。上手いよなぁ、と。今の人なら板の仕上げでも大きなカンナを使うから、板が反ってたり木造りの精度が悪いと何回でも削っちゃって寸法まで減っちゃいそうなところ、昔は木造りの精度も良くないし、良くないなら良くないなりに、床板ならこれくらいで良かろうと、チャチャ〜と仕上げちゃう、これが本当の仕事だよな〜と。

 

いろいろ勉強になる犬山城でした〜。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

新しいチョウナが届いてみたら……

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四寸五分(135ミリ)幅のチョウナを一年くらい使ったらだいぶ減ってしまったので、替わりの新しいのを注文しました。届いた新しいの(右)と比べてみたら、めっちゃ短い〜、スゴイぞ俺こんなに研ぎ減らしたか、と驚いたんだけど、よく見たらよく見たら、造りそのものが長くなってた〜。オレ全然スゴくない〜。こうすることで遠心力が増して、より効率的にハツることが出来る、はず。なんにも言わなくても、こういう改良がなされてくる。鍛冶屋の高木さんは、もう80歳を超えてるのに、まだまだ新しい手を打ってくる。探究心が全く衰えてないんだ。

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柄を挿げるヒツの部分も前より五ミリくらい長くなってる。しかも、別のチョウナに使っていた柄が、そのまま使えてしまう精度の良さ、凄いっ。型にトロトロ〜と流して作るならまだしも、鉄の板を赤めて叩いて作ったヒツが、どうやったらこんなにピッタリ作れるのか全く理解に苦しむ。

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使ってみると、やっぱり、重さも増してて凄く勢いが付くので、ハツリ屑がポコっと飛んでいく。余分な力が要らないの。

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いや〜自分の倍くらい生きてる爺ちゃんが、まだまだ進歩してるんだから

自分ももっと頑張らなアカンな〜🔥

 

 

 

 

 

 

八ツ橋 = ハツリ橋 といふ説

我輩は踏み台を作るのである。アイデアはまだ無い。しかし解消されるべき段差は依然としてあるのである。

こういう時は、無い頭を振り絞るより、どこかからヒントをいただく(=パクる)のが一番である。

パラパラとテキトーに本をめくると、

f:id:hatsurist:20170807000717j:image尾形乾山 「八橋図」

おぉ、これは、こいつをいただく(=パクる)のだっ。

踏み台だと、幅が35〜40センチ位が踏みやすくていいんだけど、なかなかそういう大きな板は無いから、20センチ位の幅の板を二枚並べればいいんだっ。板の端は長さを揃えないのが、いとおかし。と方針が決まったところで、

f:id:hatsurist:20170807201006j:image材料出して(松の板)

先に、裏の桟の加工をしておいて〜

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ハツって〜

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焼いて〜🔥

f:id:hatsurist:20170807202647j:image(写真には炎🔥が写らないみたいですが、バーナーから火が出てます)

焼き上がり〜

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で組み立て終了

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と、ここまできて、ふと思うのですが、上の乾山の絵でも、木の部分がとても黒く描かれているな〜、と。ひょっとしたら昔も、こういう雨晒しになる木は一度焼くことで表面を炭化させて耐久性を高めていたのかもしれない。

お兄さんの光琳の八橋図も

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橋は割と黒い。自然に雨晒しでここまで黒くなる頃には木は腐ってしまいそうだ。やはり焼いていたんじゃなかろうか。

そしてここで、もう一つの疑問が〜

昔の橋の板は平らだったんだろうか?と。

八橋図は、伊勢物語を下敷きにしているから、その時代(平安時代)は鋸による製材技術はそれほど無いから、クサビで打ち割った板を、チョウナで整えていた時代。

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と、こんな具合でハツられた板は、結構デコボコだったはず。この後ヤリカンナで削れば平面は出るが、そうしてしまうと手間がかかる上に、あのような架け橋に使うとツルツル滑って足元が悪い。しょっちゅう人が川に落ちてしまう。当時はおそらく、あえてハツリっぱなしで橋にしたのではないだろうか。

つまり、平安時代の橋は、この様ではなかったのではないか、と。

f:id:hatsurist:20170807214145j:image国宝「八橋蒔絵螺鈿硯箱」尾形光琳

ではなぜ光琳・乾山が、このように描いたかと言えば、この兄弟が活躍した江戸時代には既に大きな鋸(大鋸 おが)による製材が一般的になっていて

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板、といえば平らでツルツルしたものだという認識が当たり前になっていたからだと思われる。誰もみな時代の子なのである。

そういう目で、先ほどの踏み台を持って来て、架け橋風に丸太を置いてみると〜

f:id:hatsurist:20170807215236j:imageうん、きっとそうだ。

こういう架け橋があったとしても、こんな仮設のものは残るわけもないので、誰にも証明出来ない代わりに、間違っていることも証明出来ない。仮設の仮説である。誰が何を言おうと勝手なのである。その昔、三河国に渡してあった(かもしれない)八ツ橋は、このようなハツリ橋であったに違いない。そうに決まった。

 

八ツ橋  =  ハツリ橋    

 

と、いう妄想もそこそこに、奇遇にも旧・三河国領内である名古屋市守山区に無事

納められのであった。

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はつり跡は都市の品格を表しうるのか?きっとそうだ、表しとるに決まっとるやろ〜という説

どうも、最近日中は暑過ぎて工場に居られないので、昼間はジムに行って冷房の効いた中トレーニングに汗を流して朝夕と夜に仕事する、という何だかよくわかんない日常の向井です。

 

  さてさて、先日行った名古屋の白鳥庭園では、たくさんハツリ跡を見つけることが出来ました。

f:id:hatsurist:20170725163850j:imagef:id:hatsurist:20170725164856j:image門の控え柱、栗の六角なぐり。定番的な使い方ですね。門が転ばないように支える役目です。これの脚元は地面に埋めておいて、門の柱とを貫で連結して門を支える、と。その方がしっかりしますが、なにぶん土に埋めた脚元が腐りやすいですから最も腐りにくい栗を使う、と、まとこに理にかなっております。

 

f:id:hatsurist:20170725164736j:imagef:id:hatsurist:20170725164824j:image茶室の壁止め、栗の六角なぐり。これも、よく見かける使い方ですね。これによって土壁が地面と接するのを防ぎますから、土壁も傷みにくいですし、地面との隙間があることによって床下の通気に役立ちます。ここも、地面からの湿気を受けますし雨もよくかかりますから水に強い栗が使われるわけですね。

 

と、ここまで順調だったハツリ巡礼に突如、暗雲がっ。

あ〜なんか橋があるな〜、f:id:hatsurist:20170725170140j:image

これも栗で出来てるのかなぁ、と近づくと

f:id:hatsurist:20170725174154j:imageむむっ。

f:id:hatsurist:20170725174227j:imageなんじゃこりゃ〜。材は栗だけど、誰がどうハツってもこのようにはならんし、機械で加工したんやろけど、ほぼ、何がしたいのかわからんレベル。高層ビルのミニチュアにも見えてしまう。めちゃくちゃ手間かかってるわりには全く逆効果。こんなものは、他のどこでも見られない、まさしく名古屋クオリティ〜、エビフリャーハツリだぎゃ〜。

さらに橋脚を見ると〜

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またまた何がしたかったのかよくわかんない、ハツリを模したつもりなのか、しかし全く似ていない模様が全面に付いている。模様は相当に深い。おそらくは電気の際カンナでゴリゴリと削りまくって付けたのでしょうが、エッジが立ち過ぎて凄く尖っている。当然、こんなハツリ跡はどこにも、無い。こんなに深く掘ってしまっては、この段差に水が溜まってしまい傷みが進みやすい。図面を描いた人、作った人は、ハツリ跡というものを一度も見たことがなかったのだろうか?  市長、天守閣の前に、これを掛け替えだがね〜。

 

こういう不幸なものが出来てしまった理由はさておき、これが例えば京都なら起きうるだろうかと考えてみると、まず無さそうだと思われる。と、いうのは、例えば京都市の事業で、京都の業者がこのような仕事がしたとすれば、「〇〇はんとこ、市の仕事で、みっともないもんさらしおったで〜」という噂は静かに確実に、しかも疾風のような速さで都中を駆け巡り、その業者は京都市内での全ての仕事を失う覚悟が必要になる。こういう恐れがいわば「抑止力」となって、おかしな仕事が為されることを防いでいる。人口の問題ではない。名古屋市の人口230万人に対して京都市は147万人。もののわかる人、がある一定数いるということが、こういう不幸な仕事の出現を阻むのである。建築物というものは、発注者の、そして作った人の、これまでどれだけ物を見てきたか、ええもん知ってるか、良くも悪くも「実力」がはっきり出てしまう。

そしてまた、例えば舞台であれば見巧者(みごうしゃ)と呼ばれる、芝居を見慣れた厳しい観る目をもった観客の存在が、舞台の水準を保つ下支えしているのである。公共建築においては観客はさしずめ一般市民である。一般市民の審美眼が問われてもいるのである。

f:id:hatsurist:20170725183619j:imageこれが名古屋City の実力だがね〜〜

 

 

と、いうところで終われるかと思いきや、またしてもアカン、アカンやつを見つけてしまった〜。

三重県立博物館(Mie Mu) で

f:id:hatsurist:20170725210313j:imageあれっ、このベンチはっ

f:id:hatsurist:20170725210351j:imageおやっ

f:id:hatsurist:20170725210540j:image思いっきり機械加工やんけ〜!しかも材料が外材の集成材、一番アカンパターンやんか〜

 

どうりで、地元、三重県の仕事がほとんど無いはずや〜〜ん(涙)

ええもん、別に、県の仕事でこんなポンコツハツリがまかり通るようなとこには、用事あらへんもんね〜。

 

とにもかくにも、こういうものを晒しておっては、三重県知事の、三重県職員の、三重県民の知性と感性が疑われることになるので、早々に撤去しておくように。