ハツリストという蛮族がいる

「ちょうな」で木をハツる、木を耕す日々

ハツリ発見伝 旧・古井家住宅のハツリは現代風?? 5月13日

5月13日に、かねてから行きたかった姫路市の旧・古井家住宅に行って来ました。日本で二番目に古いと伝えられる民家です。築年数ははっきりしないものの室町時代後期と推定されるそうで、おおよそ築500年とのことです。

f:id:hatsurist:20170714180331j:imagef:id:hatsurist:20170714180354j:image旧・古井家住宅

この時代には、ほとんどの部材がハツリっぱなしのままで建てられるので、修理の際に使われる新しい材料にも古い材に倣ってハツリ跡が付けられることになります。この家も一度解体修理をされているので、思ったよりたくさんの新しい材料が使われていました。

f:id:hatsurist:20170714180926j:imageこのあたり床板も全て新材です。何故わかるのかと言われると困るのですが、一年間に重要文化財になるような建物を100棟くらいは見ることをずっと続けていれば、自然となんとなくわかるもんです。例えば風化の具合などで、これは500年経ってればもっと磨り減ってるはずだろう、とか、すぐにおおよその見当はつきます。

f:id:hatsurist:20170714183812j:imagef:id:hatsurist:20170714183913j:image床板は全て、おそらく磨耗や痛みで再用に耐えなくて差し替えられてしまったものと思われます。これら新材のハツリ跡を見ていますと〜(前ならこれでも十分感動しただろうけど)、何か引っかかる……。そうだ、綺麗過ぎるんだ。いや、別に綺麗なのはいいことだけど、これってこの時代の様式に合ってるのか?こういうのって、現代の謂わゆる亀甲名栗っていうのに似過ぎてないのか?? こんな整ったハツリは、よほど切れる刃物でスパスパ切らないと無理ですが、当時にそんなものがあったとは思えないし、亀甲名栗自体が江戸時代中期頃からのものだよなぁ、と。はいっ、時代錯誤決定!  たぶん〜たぶんですが、これは修理をした大工さんが亀甲名栗のイメージに引っ張られ過ぎて、当初のハツリ跡と似ても似つかないようなハツリを施してしまったんではなかろうかと。ここはひとつ、当初のものと思われハツリ跡を探してみようっ、と、やっぱりあるんですね。

f:id:hatsurist:20170714190926j:imageススとホコリの奥に、かすかに見えるハツリ跡。チョウナの打ち方はかなりランダム、だが、これがこの時代の様式である。

f:id:hatsurist:20170714191304j:imageこれが一番よくわかります。二本横向きの材があるうちの上が当初材、下が新材。

f:id:hatsurist:20170714191633j:image旧材

f:id:hatsurist:20170714191736j:image新材 亀の甲羅状の模様を規則的に打ち出しています。綺麗だけど、室町後期の気分では、ない。

どうもやはり、修理を担当した大工さんが、当初のハツリ跡に倣うというよりは、ご自分の「ハツリ跡っていうのはこういうもんだ」っていうイメージ通りにやってしまったようです、残念っ。しかしこれはこれで、味わいは十分あるものですし、文化財の修理の現場でさえも、「ハツリ跡」などというものは、付いてさえいればいい、という扱いで、その風合いの再現までは要求もされなかったし、文化財を扱う方々の興味の対象でもなかったようだという示唆を得ることは出来るのです(涙)。しかし、ま、その時代には有り得なかった意匠を加えてしまうことは、言ってみれば、'エレキギターで弾くバッハ'みたいなもので、やや奇異な印象なんですな。

 

なんだか文句ばっかり言ってるみたいですが、いいところも一杯あるんです。

f:id:hatsurist:20170714193011j:imageずぅっと前、20年位前に読んだ「西岡常一と語る 木の家は300年」という本に写真が出ていたのは、きっとこの柱でした。柱は石の上に立てるべし、です。当初の材かはわかりませんが相当古そうです。石の上に建てれば何百年もの風雪に耐えます。現代のようにコンクリートの基礎の上に土台を敷くやり方ですと、早ければ20年ほどで腐朽が始まります。

 

f:id:hatsurist:20170714193922j:imagef:id:hatsurist:20170714193937j:imageこの竹の床も夏は涼しくていいだろうな〜と。冬のことは今は忘れよう。「風流とは寒きものなり」と谷崎潤一郎も「陰翳礼讃」の中で言っていたではあるまいか。

 

f:id:hatsurist:20170714194756j:imageこういうアイデアは好きです(^^)

 

f:id:hatsurist:20170714194857j:imagef:id:hatsurist:20170714194916j:imageこの開口部の土壁の扱いなんて、なんかカワイイ、現代でも通用する感覚です。

 

といったところで、雨の古井家を後にしました。

 

 

 

 

色々わかってきたことを、ひとりごちてみる。

チョウナでハツる仕事をする人は、日本で二人になってしまいました。

 

時々、こんなことが起こります。 電話が掛かってきて、「幅が〇cm 長さ△mの〇〇の木をハツって欲しいんだけど幾らになりますか?」と、計算して連絡しますと伝えて電話を切ると、またべつのところから電話が掛かってきて、さっきとほぼ同じ話の内容なんですね。デジャブか?と一瞬思うのだけど、たぶんこれ、出処は一緒なんだろうなと。

 

要するに、

f:id:hatsurist:20170714094533j:image依頼主が、あっちこっちに電話掛けて、値段を調べているのですね、一番安く言った所に頼もうと。もう二業者しかないから、あちこち掛けても結局一緒なんだけど………。なんだかなぁ、と思うのだけど、こういうケースは殆ど気にする必要はなくて、何故かというと、ほぼ流れるからですね。依頼主があちこち電話してる時点で、安けりゃ頼もうって心積もりですから、ハツリなんてそんな安く出来ないですから、あっさり流れてしまいます。こういう話の顕著な特徴は、早い段階でお金の話が出ることですね。どういう材料で、どこに使って、どういう風に見せる、とかそんな話は後回しで、とにかくナンボ? というわけですから、すぐ、ま、やめとこか、となるの早いわけですな。逆に、どうしてもハツリ、 名栗でやりたいって人からの発注のケースですと、材料の話、使われる建物の話、使われる場所の話がこと細く出てきます。そこから予算の調整ですので、比較的話がスムーズです。

 

どうしてもハツリを取り入れたくなったら、お電話かメールください(笑)

 

 

ハツリ発見伝 日本民家集落博物 編〜 3月19日

大阪城の後は、服部緑地公園にある「日本民家集落博物館」に行って来ました。

f:id:hatsurist:20170616181612j:imagef:id:hatsurist:20170616181629j:imagef:id:hatsurist:20170616181648j:image

あ〜、やっぱ民家はええなぁ。「ここで暮らす」知恵の集積やなぁ、と。

そこら辺にある木と、そこら辺にある土で、250年とか300年保つものが出来てしまうのだからね。

今は外材だの集成材でプレカットされた家で30年位しか保たないもん。人間は明らかに退歩しとるわ。いわゆる有名な"建築家"というような人達も、結局、60年位しか保たないコンクリートや、プレカット木材のひ弱な構造体でしか建ててないのだから、100年でも200年でも美しさを保つような、こういう建物を建てた名も無き大工に敵わんではないか、と。全ての建築家はこういう所へ来て跪くべきなのだな。建築家の何とか先生が凄い、とか、よくそんな話を聞くけど、全く共感出来ないのはそういう素地があるからなのだな。逆に、誰それが巨匠だとか、そういうこと言ってる人は、ちゃんと古い建物を見てないんだわな。設計士にしても大工にしても、そういう人、多いね。だから長持ちする家は建たないの。資源の無駄使いばかりです。

 

 と、それはさておき、此処も2回目なので、今回はハツリ目線で、昔のハツリ跡を探してみる。

f:id:hatsurist:20170616184446j:imagef:id:hatsurist:20170616184509j:imageあるある、あるある。

これを見てると、やっぱり昔の製材は、ノコギリで挽くのではなくして、ほとんどがマサカリ・チョウナのハツリであることがわかる。

要するに

f:id:hatsurist:20170714090224j:image丸太から角材を作るには、この半月状の部分をハツリ飛ばしてしまうのが一番早いんです。はじめは大きくハツることの出来るマサカリを使い、チョウナで整えていく。ノコギリなんて時間がかかるから使ってられません。ここからさらに綺麗にしようと思えばカンナを掛けるのだけど、農家ではそこまで余裕は無いから、これでお終い。ここから全て材にカンナを掛けて仕上げるのはとても時間と労力が掛かります。江戸時代の中期くらいまでは、カンナ仕上げは上層農民や武家や公家位しか採用できなかったんではないかな。今は製材機があるから簡単に四角く造って機械で整えてカンナ掛けるだけだから、昔に比べたら随分簡単なことになってます。

f:id:hatsurist:20170714091320j:imageそういう簡単に四角く綺麗な材手に入る時代には、かえってこういう凹凸のある材が新鮮に見えます。昔ここに住んでた人はどう思っていたかわかりませんけどね。もっと綺麗な家に住みたいなぁ、お金無いし、と思ってたかもわかりませんし。現代ですと、四角く製材した木が簡単に手に入りますから、こういうチョウナでハツった木で家を建てようとすれば、かえって高くつくことになります。いったい何が進歩で、発達なのかが、よくわかんなくなる民家園探訪でした。

 

 

 

はつり発見伝 大阪城 再訪編 3月19日

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だいぶ前のことになってしまいましたが、大阪城の「櫓」特別公開に行ってきました。大阪城に関しては、豊臣秀吉による遺構は全て埋没、その後の徳川幕府によって再建されるも天守閣は1665年に落雷で焼失(現在のものは1931年 鉄骨鉄筋コンクリート造による再建)、明治維新の争乱と第二次世界大戦の空襲で多くの建物が焼失、といった具合で、見るべき古いものは、焼失を免れた櫓や門に集中しています

櫓は特別公開期間しか見学できないのですが、二つ公開される櫓のうち、多聞櫓は幕末の再建ということで比較的新しくて趣に欠け、注目すべきはやはり元和6(1620)年築の「千貫櫓」であります。

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千貫櫓の床板は総てチョウナはつりの仕上げである。幕末に再建された多聞櫓の床板が平らに削ってあることと合わせて考えると、やはり江戸時代初期頃までは板の仕上げはハツリ仕上げが多かったのではないかと想像されます。台カンナは室町時代には発明されていたはずですが、平らに綺麗に仕上げるのはとにかく時間がかかるため、こうした大規模建築ではカンナ仕上げが採用されず、手っ取り早くチョウナでハツってしまったものと思われます。

   前回初めて来た時には、もうとにかく驚いてしまって「おお〜これは凄いもんだ〜」という感想に終始してしまったのですが、前回少し気になった建築当初からの材料と、昭和の修理での差し替え材の違いを今回は確認しようと思っていました。どこかに、古い材と新しい材の境い目がある筈だ、と見当を付けて探すと、ありました!

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少しわかりにくいですが、真ん中より上の板が新しくて、下の板が古いです。下の古い方は磨り減ってハツリ跡もだいぶ浅くなっています。古い板は連続して並んでいるので古い板ばかり眺めてみると〜、

f:id:hatsurist:20170611191213j:image時にはナデナデしながら

千貫櫓には14代将軍 家茂 ・15代将軍慶喜が城内巡視のためしばしば足を踏み入れたという記録が残っているそうですから、もしやこれは将軍さまが歩いた床板かも知れぬと想像しながら歩くのも、いとおかし……

f:id:hatsurist:20170611183659j:imageと、「これだっ」と、前回気付かなかったあることに気付いてしまう。

古い床板の釘が打ってある所をよーく見ると

f:id:hatsurist:20170611192454j:image釘の近くに、もう一つ釘穴が開いている。おっちょこちょいの大工さんが間違えた、わけではない、たぶん。考えると当然の事なんですが、この櫓は解体修理をされているわけですから、床板も一度は釘を抜いてめくられている。それをもう一度張ろうと思えば、同じ釘穴に釘を打ってしまってはユルユルで釘が効かない。仕方がないので少しズラした位置に釘を打つ、その跡ではなかろうか。

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どうやら間違いなさそうだ、古い板には必ず釘穴が余分に開いている。

これを仮に「大阪城 古い板は釘穴二つの法則」と名付けることにする。と悦に入りつつ、ふっと辺りを見回すと、古い床板と新しい差し替えの床板の配置に、なるほどっと思わせる点が見つかる。新しい床板は、この櫓の入り口から出口への最短距離の通り道、つまり人が一番多く通る部分に集中している。と、いうことは、おそらく、おそらくなのですが、昭和34年に始まる解体修理の際に、この一番人通りが多い部分の床板は磨耗し過ぎて再用に耐えず、新しい床板に取り替えられた。その際、古い床板に残るハツリ跡に敬意を払いチョウナハツリを施した、ということではなかろうかと。

その目で見ると

f:id:hatsurist:20170611184039j:image手前部分は新材(新しいって言っても昭和34年の修理だから60年近くは経っているのだけれど)、余分な釘穴は無い。奥の三分の一程度がおそらく400年前の旧材。よく馴染んでいると言える。

f:id:hatsurist:20170611200624j:imageこれも同様に手前3分の2が新材、向こう3分の1が旧材

あ〜スッキリした〜、こういうことだったんだなぁ、と見学終了〜

f:id:hatsurist:20170611200901j:imageお勤めご苦労さまです。

 

と、書いてきて、やっぱり気になる、なんだか気になる、ど〜も古い床板をツラツラ見てたら、あれってなんだか杉ぽくなかったかなぁ。新材は全部ヒノキだったんだけど。杉だと磨耗し易いからヒノキに替えたのかなぁ、それとも元々ヒノキだったのかなぁ、あ〜気になる、と思ったら、今年は11月まで毎週土日祝日は見学出来るみたいだし、夏休み期間中もずっと公開してるようだから、また行く、絶対行くぞ〜

 

↓ 櫓はいつでも見学出来るわけではないので、公開情報はこちらを参考にしてください。

 

 

 

落とし掛けの製作は難しいゼヨ

「土佐の大工」(横浜在住)さんからご依頼の、落とし掛け。床の間の部材で床柱に横から差さる材料ですが、床の間の無い家が増えた今、ほとんどの人には馴染みの無いものですが、それを作りました。

まずは、困った時のこの本〜

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古本を買ったのか?とよく聞かれますが、新品で買って、結構ボロボロになりました。写真は美しく〜図面も沢山載っていて、とても素敵な本です。

ここに確か、杉のハツリの落とし掛けが出ていたはず〜、とページをめくると、

あった〜

f:id:hatsurist:20170308174806j:imageこの本には「赤杉 名栗」とありました。

で、短い切れ端で、作ってみる。目指せ、完コピ!

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だいたいこのくらいかな〜、と思ったのだが、お施主さんは、斜めにハツリ跡が入ったものがよい、とのことで〜、この材、このハツリ方の場合、斜めにするのは、かなり難しそうだ、う〜ん弱ったということで、しばらく間を空けました。

さていよいよ取り掛かるか〜、というわけで

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やってみる、やってみる、やってみる……

予想どおりというか予想より難しい。

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やっと出来た〜と思う頃には

ボツの山が……(汗)

 

f:id:hatsurist:20170308185124j:imageヤバいっ、○万円分くらいある(T_T)

見んかったことにしよう……にも目に入る(T_T)

この場合の「ボツ」っていうのは、明らかな失敗っていうよりは、どうもこれは感覚的にもう少しやな〜とか、もうちょっとこの辺がこうなっとればな〜、とやってるうちにできてしまう副産物みたいなもので〜、昔からハツリ物が高いのはこういうことがあるからかなぁと言い訳がましいこと言っても、いずれにしても、このままではもう使えないので、折をみて手摺とか別の物に作り替えてしまわないといけません。う〜、キツい。

 

さあ、あとは東京のお寺さんに送ったので、取り付けが楽しみです。丸太の柱に、ハツリの凸凹したものを取り付けるのは非常に難しいと思います。僕には出来ません(T_T)

「土佐の大工」さん、よろしくお願いするゼヨ(^^)

 

 

 

お問い合わせがあったのだけれど……

携帯が鳴る……出ると、

ケヤキの板を、丸ノミで彫って模様を付けて欲しいのですが、出来ますか?と、 聞かれ、それは職業が違うことをお伝えしたのだけれど、とりあえずハツリのサンプルが欲しいとのことで……。

 

でも、ケヤキの板って、サンプルっていっても、無いんだよなぁ、作らなきゃ。

とりあえず、柄の皮が取れてしまったチョウナは、手が痛むので、テニスのラケットに巻くテープを巻いてみました。

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テニスをしたことが無いので、なんだか怪しい巻き方になってしまったけど、

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YONEX仕様の柄が出来ました。

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ハツってみると、滑りにくいし、手にくる衝撃も弱まって、これは良さそう。

あまり耐久性は無さそうだけど、テープ一巻がラケット三本分の長さあるので、時々替えれば、まぁいいか、と。

 

ひとまず、この板を送ってみて、様子をみてみましょう。

 

 

 

 

 

 

彦根城 はつり発見伝

昨日、何度目かの彦根城

前に見たハツリ跡の記憶が曖昧になってしまい、どうしても確認したくなって、いそいそと出掛けて行きました。

 まずは天秤櫓。門の柱に早速はつり発見!じっと見ると、これはどうも楠の木らしい。

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そして、どう見ても材がそれほど古くない、修理時に差し替えた新材かと思われる。

 刃物は恐ろしく切れている。

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そこに差し込まれヒノキの新材の貫もこれまた見事な仕上がり。しかし、である、ここで小さな疑問が。昔の材もこんなに綺麗だったんだろうか?そこで、古い当初からと思われる柱を探してみると、あったのである。

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虫食いはあるし、風化のためにハツリ跡ははっきりしないのだけど、なんとなくザクザクっと疎らにハツったような跡がうかがえる。ここで、修理時に差し替えた材は、果たしてちゃんと昔のハツリ跡を再現しているのだろうか?という違和感が芽生える。ふと、見上げると、これまた新しい感じの、差し替え材だと思われる丸太が、しかし、これは、妙に平らな部分が目に付く。

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おそらくは丸太をカンナで形を整えた後でハツったのだけど、ハツリ残しがたくさんあって平らな部分が残ってしまっているのではないかと思われる。なんだか中途半端なのである。昔はマサカリでハツリっぱなしか、その後チョウナでコツコツハツるから、こんな平らなところがあるような梁は無いであろう。この小さな違和感は、天秤櫓の中にはいると、ますます増幅してしまうのである。改めて中を見ると、柱、梁、貫などに修理の時に差し替えたらしい新材が多いのに気付く。これ自体は、材の腐朽などで仕方ないことではあるのだけど、そこに施されたハツリ跡が、なんだかとても奇妙なのである。

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これは何であろうか、やたら平らな部分が残ってしまって、昔を再現出来てるわけでもなく、現代風に綺麗過ぎるでもなく、何がしたいのかさっぱりわからない仕上がりである。重要文化財でこれでいいのだろうか?? う〜ん、と頭を抱えていると、係のおじさんが何かを察したのか「あの向こうにある柱、あれが本当に古い柱だよ」と教えてくれる。で、ササ〜っと近づくと、いかにも古そうな松の柱にあったあった、これだよ〜、これは間違いなく古いハツリ跡〜。

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柾目は裂けやすいから、斜めにコツコツ刃物を当てていった様子が見て取れる。コツコツ、コツコツ、よく見るとハツリ目の真ん中の同じ場所にいつも同じような筋がある、間違いない、この時この人のチョウナの刃は少し欠けていた(笑)。いいんである、節のある板をハツっていれば少々刃が欠けることはある、研ぎ直したりモタモタしていたら親方に怒られる。お城はとにかく早く建てなきゃいけない。早くしないと、今度は親方が殿様に怒られる。刃に少々問題があっても、どうにかこうにか水準以上の仕事をしてしまうのも技術のうちである。このハツリ目をつらつら眺めていたら、なんとなく「目」が出来てきて、他にも古いハツリ跡がぼちぼち残っているのがわかってくる。

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これもおそらくは、松。 なんだか現代の目でみると、ややゴチャゴチャした感はあるけど、ハツリ跡を綺麗にというよりは木の目に逆らわず、むしろ木の目に沿ってコツコツとユラユラと、節の前後は裂けないように遠慮がちに、それでも時々は裂けつつ、まぁええか、と。これが本物やな〜と。

してみると、彦根城は昭和30年代に大々的に修理をしたようなので、その時差し替えた新材は、これらのハツリ跡に倣ったはずなのに〜、なぜか、新しいのは、こんな風になってしまっている。

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もうこれなんか、責任者出て来〜い!なレベルである。平らに削った柱に真横から刃物を当てて何だかよくわからない跡が付いている。道具の選択も間違ってるような気がする。使い手も相当アカンけど。櫓の門の柱は昔じゃ有り得んほど綺麗やし、中の柱は有り得んほど滅茶苦茶である。おそらく門の柱は目立つからということでハツリの専門職がハツったが上手に過ぎて、中の柱や梁は不慣れな大工がテキトーにハツリ跡を付けた結果ではないかと思われる。どっちも両極端過ぎて、昔のハツリ跡にちっとも似ていない。昭和30年代では文化財の修理というのは、こんなことだったんだな〜と、何だか残念な気持ちになりました。こういうことも、一度目に来た時は全く気づかず通り過ぎていたから、やはり「見る」というのは、何度も何度も通って「見る」ということだな〜と。

気をとり直して進んで行くと、太鼓門のヒノキの新材の柱。おそらく専門職によるキレッキレの仕上がり。

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やや上手過ぎる感のある新材のタルキ。

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いずれも、人間の技術が勝ち過ぎて、自然なユラユラ感が乏しいような気がしてしまう。

 

しかし、天守閣まで来たら〜ついにキタ〜、これやこれっ!これは古いっ。

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このユラユラ感。刃物の当て方も、ほぼ天秤櫓で見た古い柱にそっくり、きっと築城当初のヒノキの柱。だとすると樹齢はきっと100年を超えていたでしょうから、この木がどこかの山で芽吹いたのは500年以上前。それが400年前に伐られてハツられて今ここにある。やっぱり木は凄いなぁ、昔の人は偉いなぁ、と。あぁ、きっと今日はこの柱に会いに来たんだ。